メンタルヘルス対策と就業規則
前回は健康経営を反映した就業規則の基本構成や健康に配慮した労働時間・休暇制度の規定方法について解説しました。
今回は、企業におけるメンタルヘルス対策と就業規則の関係について詳しく見ていきます。近年、職場のメンタルヘルス対策の重要性が高まる中、就業規則にどのように反映させるべきか、特に中小企業の視点から実践的な方法をご紹介します。
メンタルヘルスの重要性と企業の責任
企業におけるメンタルヘルス対策の必要性
近年、職場におけるメンタルヘルス対策の重要性が高まっています。厚生労働省の「労働安全衛生調査」によれば、働く人の約6割が仕事や職業生活に関して強い不安やストレスを感じているとされています。また、精神障害の労災補償請求件数は増加傾向にあり、2022年度には2,346件に達し、そのうち認定件数は541件となっています。
特に中小企業においては、限られた人材で業務を遂行しているため、一人の従業員がメンタルヘルス不調により休職した場合の影響は大企業以上に大きくなります。人員の代替が難しく、残された従業員の負担増加によって連鎖的にメンタルヘルス不調が広がるリスクもあります。
メンタルヘルス不調は、個人の生産性低下や早期退職のリスクを高めるだけでなく、企業にとっても以下のような損失につながります。
- 人的資源の損失:休職や離職による労働力不足
- 生産性の低下:メンタルヘルス不調による業務効率の悪化
- 業績への悪影響:上記要因による企業全体の業績低下
- 社内コミュニケーションの悪化:職場の雰囲気の悪化や人間関係のトラブル
- 企業イメージの低下:メンタルヘルス対策が不十分な企業としての評判
企業の法的責任と安全配慮義務
事業主には「労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする」という安全配慮義務が課せられています(労働契約法第5条)。この義務は、従来の「事故や怪我」の防止だけでなく、メンタルヘルスを含む健康管理全般に及びます。
労働安全衛生法においても、事業者の責務として以下が定められています。
- 労働者の健康障害防止のための措置(第13条、第18条)
- 健康診断の実施(第66条)
- ストレスチェックの実施(第66条の10)※従業員50人以上の事業場
- 長時間労働者への医師による面接指導(第66条の8)
安全配慮義務違反となるポイントは主に2つあります。
- 予見可能性:従業員の心身の健康を害することを会社が予測できた可能性があったかどうか
- 結果回避性:それを会社として回避する手段があったかどうか
形だけのメンタルヘルス対策を導入しても、実効が伴っていなければ会社はその責任を問われることになります。過去の判例でも、従業員の長時間労働や健康悪化を知りながら、具体的な業務軽減措置を取らなかった企業の安全配慮義務違反を認めたケースがあります。
例えば、電通過労自殺事件(最高裁平成12年3月24日判決)では、長時間労働の実態を会社が把握していたにもかかわらず適切な措置を講じなかったことが安全配慮義務違反と認定され、損害賠償責任が認められました。
中小企業におけるメンタルヘルス対策の課題
中小企業では、メンタルヘルス対策に関して以下のような課題を抱えていることが多いです。
- 専門知識の不足:産業医や保健師等の専門家を常駐させることが難しい
- 予算の制約:大規模なメンタルヘルス対策プログラムを導入する予算が限られている
- 人員の制約:メンタルヘルス対策を専門に担当する人材を確保できない
- プライバシーの確保:少人数の職場では、メンタルヘルスの問題を抱える従業員のプライバシー確保が難しい
しかし、これらの課題があるからこそ、就業規則にメンタルヘルス対策を明確に位置づけ、限られた資源の中で効果的な対策を講じることが重要になります。
メンタルヘルス対策の4つのケア
厚生労働省は、職場におけるメンタルヘルス対策として「4つのケア」を推奨しています。
- セルフケア:従業員自身がストレスや心の健康について理解し、自らのストレスを認識して対処する
- ラインケア:管理監督者が部下の状況を日常的に把握し、職場環境の改善や個別の相談に対応する
- 事業場内産業保健スタッフ等によるケア:産業医、保健師等が専門的な立場から従業員の相談対応や支援を行う
- 事業場外資源によるケア:外部の専門機関(EAP、地域産業保健センター等)による専門的なサポート
中小企業では特に、外部資源の活用(4つ目のケア)が重要になります。地域産業保健センターの無料サービスや、自治体の相談窓口、健康保険組合のメンタルヘルスサービスなどを積極的に活用することで、専門的なサポートを低コストで提供することが可能です。
メンタルヘルス対策の経営的メリット
メンタルヘルス対策は、単なるコストではなく、以下のような経営的メリットをもたらします。
- 生産性の向上:心の健康が保たれることで、従業員の集中力や創造性が高まり、生産性が向上する
- 離職率の低下:働きやすい職場環境が整うことで、人材の定着率が高まる
- 採用力の強化:メンタルヘルスに配慮する企業としての評判が高まり、優秀な人材の確保につながる
- リスク管理:メンタルヘルス不調による休職や離職、さらには労災認定や訴訟リスクを低減できる
- 組織の活性化:心理的安全性が確保された職場では、コミュニケーションが活性化し、組織全体の創造性や問題解決能力が高まる
メンタルヘルス対策は、従業員の健康を守るという人道的な観点だけでなく、企業の持続的成長を支える重要な経営戦略の一つとして位置づけることができます。特に中小企業では、限られた人的資源を最大限に活かすためにも、メンタルヘルス対策の充実が不可欠です。
就業規則にメンタルヘルス対策を明確に位置づけることは、企業の安全配慮義務の履行につながるだけでなく、従業員の健康維持・増進、ひいては企業の生産性向上と持続的成長に寄与する重要な取り組みです。
就業規則に盛り込むべきメンタルヘルス関連の内容
就業規則にメンタルヘルス対策を明確に位置づけることは、企業の安全配慮義務の履行につながるだけでなく、従業員の健康維持・増進にも寄与します。以下に、就業規則に盛り込むべき主要なメンタルヘルス関連の内容を解説します。
1. 休職制度に関する規定
メンタルヘルス不調の場合、連続して欠勤するケースだけでなく、断続的に欠勤と出勤を繰り返すことも多いため、以下のような休職事由を規定することが重要です。
- 私傷病による欠勤が継続または断続して一定期間(例:1ヶ月程度)続いたとき
- 精神または身体上の疾患により職務に堪えないとき
- 業務上の必要性または特別の事情があって休職させることが適当なとき
また、休職期間の設定(勤続年数に応じた期間設定も検討)、試用期間中の従業員への適用可否、同一事由での休職の通算規程なども明記すべきです。
2. 受診命令と診断書提出の規定
メンタルヘルス不調が疑われる場合に、会社が医師の診断を受けさせる権限を明確にする規定が必要です。
- 健康状態に疑義が生じた場合の会社指定医による健康診断の受診命令
- 私傷病による欠勤時の診断書提出義務
- 診断書の内容確認や治療状況把握のための情報提供要請
3. 復職支援制度の規定
休職からの円滑な職場復帰を支援するための規定を整備します。
- 復職申請の手続き(復職希望日の一定期間前までの申し出、診断書の提出など)
- 復職可否判断のための会社指定医による面談
- 復職時の職場や業務内容の変更可能性
- 試し出勤制度(本格的な職場復帰前の試験的な出勤制度)
4. 就業上の配慮に関する規定
メンタルヘルス不調からの復帰者に対する就業上の配慮事項を明記します。
- 短時間勤務
- 軽作業や定型業務への従事
- 残業・深夜業務の禁止
- 出張制限
- 交替勤務制限
- 危険作業、窓口業務、苦情処理業務などの制限
- フレックスタイム制度の適用または制限
これらの配慮措置の適用期間や段階的な通常勤務への移行プロセスも規定しておくと良いでしょう。
5. 再発防止と再休職に関する規定
メンタルヘルス不調は再発のリスクが高いため、再発防止と再休職に関する規定も重要です。
- 同一または類似の事由による再休職の場合の休職期間の通算
- 復職後一定期間内に再発した場合の取扱い
- 定期的な面談や健康状態の確認
6. 相談窓口やサポート体制に関する規定
メンタルヘルスに関する相談窓口やサポート体制について規定します。
- 社内相談窓口の設置と利用方法
- 外部専門家(産業医、カウンセラー、EAP機関等)との連携
- 相談内容の秘密保持とプライバシー保護
7. 自動退職・解雇に関する規定
休職期間満了時に復職できない場合の取扱いを明確にします。
- 休職期間満了による自動退職規定
- 休職期間満了後の解雇に関する規定(解雇の意思表示が必要)
これらの規定を就業規則に明示することで、メンタルヘルス不調を抱える労働者とのトラブルを未然に防ぎ、企業は適切な対応をとることが可能となります。規定がないにもかかわらず、メンタルヘルス不調を抱えた労働者を解雇した場合、違法な解雇と判断される可能性もあるため注意が必要です。
中小企業では、すべての項目を一度に導入するのではなく、自社の状況に応じて優先度の高いものから段階的に整備していくアプローチも有効です。また、就業規則の改定にあたっては、従業員の意見を聞き、実態に即した内容にすることで、メンタルヘルス対策がより効果的に機能するでしょう。
相談窓口やサポート体制の整備
メンタルヘルス対策の重要な柱として、従業員が気軽に相談できる窓口やサポート体制の整備があります。適切な相談体制を構築することで、メンタルヘルス不調の早期発見・早期対応が可能となり、重症化を防ぐことができます。ここでは、中小企業が実践できる相談窓口やサポート体制の整備方法について解説します。
1. 社内相談窓口の設置
基本的な相談窓口の設置
社内に相談窓口を設置する場合、以下のポイントに留意することが重要です。
- 窓口担当者の選定: 人事担当者、衛生管理者、または研修を受けた従業員など
- 相談しやすい環境づくり: プライバシーが確保された相談スペースの確保
- 相談時間の確保: 定期的な相談日の設定や予約制の導入
- 秘密保持の徹底: 相談内容の秘密保持ポリシーの明確化
就業規則には、以下のような規定を盛り込むことができます:
第〇条(メンタルヘルス相談窓口)
会社は、従業員のメンタルヘルスに関する相談に対応するため、社内に相談窓口を設置する。
2 相談窓口では、職場やプライベートの人間関係、体調や精神の不調、業務パフォーマンスの低下など、幅広い内容について相談することができる。
3 相談内容の秘密は厳守され、相談者のプライバシーは保護される。
4 相談窓口の利用を理由として、不利益な取扱いを受けることはない。管理職による相談対応(ラインケア)
管理職が部下のメンタルヘルスケアを担当する「ラインケア」も重要な相談体制の一つです。管理職に対しては、以下のような役割と責任を就業規則に明記することが効果的です。
第〇条(管理職のメンタルヘルスケア責任)
管理職は、部下の健康管理について以下の責務を負う。
(1) 日常的な観察による心身の健康状態の把握
(2) 職場環境の改善や業務負荷の調整
(3) メンタルヘルスに関する相談対応と適切な専門機関への橋渡し
(4) 休職者の職場復帰支援
2 管理職は、メンタルヘルスケアに関する知識・スキルの向上に努めなければならない。2. 外部リソースの活用
中小企業では、専門的な知識を持つ担当者を社内に配置することが難しい場合が多いため、外部リソースを活用することが効果的です。
地域産業保健センターの活用
従業員50人未満の小規模事業場を対象に、無料で産業保健サービスを提供する「地域産業保健センター」があります。以下のサービスが利用可能です。
- 健康診断結果についての医師の意見聴取
- 長時間労働者に対する面接指導
- メンタルヘルス不調者に対する相談対応
- 個別訪問による産業保健指導
就業規則には、以下のような規定を盛り込むことができます。
第〇条(地域産業保健センターの活用)
会社は、従業員のメンタルヘルスケアを支援するため、地域産業保健センターのサービスを活用する。
2 従業員は、会社の指示または自らの希望により、地域産業保健センターの医師等による面接指導や健康相談を受けることができる。外部EAP(従業員支援プログラム)の導入
予算に余裕がある場合は、専門的なカウンセリングや健康相談を提供する外部EAP(Employee Assistance Program)の導入も検討できます。EAPサービスには以下のようなものがあります。
- 電話・対面・オンラインによるカウンセリング
- 健康・メンタルヘルスに関する情報提供
- 管理職向けコンサルテーション
- 職場復帰支援プログラム
就業規則には、以下のような規定を盛り込むことができます。
第〇条(外部EAPの活用)
会社は、従業員のメンタルヘルスケアを専門的に支援するため、外部EAP(従業員支援プログラム)機関と契約し、必要なサポートを提供する。
2 従業員は、外部EAP機関に対して、無料かつ匿名で相談することができる。
3 外部EAP機関の利用方法については、社内掲示板等で周知する。3. 効果的なサポート体制の構築
「4つのケア」に基づくサポート体制
厚生労働省が推奨する「4つのケア」の考え方に基づき、包括的なサポート体制を構築することが効果的です。就業規則には以下のような規定を盛り込むことができます。
第〇条(メンタルヘルスケアの推進体制)
会社は、以下の「4つのケア」を基本としたメンタルヘルスケア推進体制を整備する。
(1) セルフケア:従業員自身がストレスに気づき、対処するための知識や方法の習得を支援する。
(2) ラインケア:管理監督者が部下の状況を把握し、適切な対応を行うための体制を整備する。
(3) 事業場内産業保健スタッフ等によるケア:産業医、保健師等による専門的なケアを提供する。
(4) 事業場外資源によるケア:外部の専門機関と連携し、専門的なサポートを提供する。教育・研修の実施
メンタルヘルスに関する知識と理解を深めるための教育・研修も重要なサポート体制の一部です。
第〇条(メンタルヘルス教育)
会社は、従業員のメンタルヘルスに関する知識の向上と理解促進のため、以下の教育・研修を実施する。
(1) 全従業員を対象としたセルフケア研修
(2) 管理職を対象としたラインケア研修
(3) 新入社員を対象としたメンタルヘルス基礎研修
2 従業員は、会社が実施するメンタルヘルス教育・研修に積極的に参加するものとする。
4. 中小企業向けの具体的な実践例
小規模企業での相談体制の例
従業員数が少ない小規模企業では、以下のような相談体制が効果的です。
- 社長または人事担当者による定期面談: 月1回の個別面談で従業員の状況を把握
- 外部専門家の定期訪問: 月1回、外部カウンセラーが来社し、希望者が相談できる機会を設ける
- 地域産業保健センターの活用: 健康診断後のフォローアップや長時間労働者の面接指導に活用
中規模企業での相談体制の例
従業員数が数十人規模の企業では、以下のような相談体制が考えられます。
- 衛生委員会の設置: 月1回の衛生委員会でメンタルヘルス対策を協議
- 社内相談窓口の設置: 研修を受けた担当者が週1回、相談日を設ける
- 外部EAPの導入: 24時間対応の電話相談窓口を従業員に提供
- 産業医との連携: 嘱託産業医による月1回の健康相談日の設定
5. 相談窓口・サポート体制の周知方法
どんなに充実した相談窓口やサポート体制を整備しても、従業員に周知されなければ意味がありません。以下の方法で効果的に周知しましょう。
- 社内掲示板やイントラネットでの案内: 相談窓口の連絡先や利用方法を掲示
- リーフレットやカードの配布: 携帯できるサイズのカードに相談窓口の情報を記載
- 定期的な案内メールの送信: 月1回など定期的に相談窓口の案内メールを送信
- 社内研修での説明: メンタルヘルス研修の中で相談窓口の利用方法を説明
就業規則には、以下のような周知に関する規定を盛り込むことができます。
第〇条(相談窓口の周知)
会社は、メンタルヘルス相談窓口の連絡先、利用方法、対応時間等について、社内掲示板、社内報、研修等を通じて定期的に従業員に周知する。
2 新入社員に対しては、入社時のオリエンテーションにおいて、相談窓口の説明を行う。相談窓口やサポート体制の整備は、メンタルヘルス対策の中核をなす重要な取り組みです。特に中小企業では、限られた資源の中で効果的な体制を構築するために、外部リソースの活用や段階的な整備が有効です。就業規則にこれらの体制を明記することで、従業員が安心して相談できる環境を整え、メンタルヘルス不調の予防と早期発見・早期対応につなげることができます。
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